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高校野球に求められる「勝利」と「教育」

by : EQプラクティショナー 濱野 洋  | 

2018年8月8日 | 

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先週末より、全国高校野球選手権大会が始まりました。平成最後の大会であり、100回目という記念すべき大会。「本気の夏、100回目」というキャッチフレーズも印象的です。
Six Secondsの国際認定資格・EQプラクティショナーを取得し、活動している野球監督で教師の濱野 洋氏のブログをご紹介します。

 

高校野球に求められる「勝利」と「教育」

高校野球が全国各地で白熱している中、歓喜に溢れるチーム、涙するチームを目にする。特に涙するチームは全てが終わったかのように泣きじゃくり、保護者もまた泣き崩れる。私も充分両者の気持ちは理解できる。しかし、その一方、高校野球が終わり、卒業までの間に不祥事を起こす者も後を絶たない。いわゆる、バーンアウトである。そんな光景を目の当たりにすると一番ショックを感じるのは指導者ではないだろうか。逆に保護者は「今まで野球三昧だったから少しぐらいは」という考えも少なくない。しかし、彼らの人生はこれからであり、さらに上のステージで野球をやる生徒は、また1年生になるのである。もう一度、高校野球または学生スポーツのあり方について、勝利至上主義と教育に焦点をあてて考えてみたい。

 

目指す過程が大切

何かを目指す大切さ、すなわち夢への挑戦とでも言えるだろう。人生の中でほとんどがうまくいかないことばかりだ。昔の球友と会って話をする時も辛かったあの日の思い出を朝まで語ることもある。

しかし、人生をトータルで考えた時、私はよく「人生チャラだ」と言う。自分のノーブルゴールは自分で決める事ができ他人に決められるものではない。

※「ノーブルゴール」とは、「自己の強く大きな目的・自分の道標となる目標」のこと。日々の選択を自己のノーブルゴールに結びつけることで自分の可能性と力を最大限に活用できる。「ノーブルゴールの追求」はシックスセカンズEQコンピテンシーの1つ。

そこで大切なのは、ノーブルゴールの設定であり、そこに到達するまでの過程を考え、悩み、共有しながら目指していくことが重要だと感じる。成功しても失敗してもそれは力になり、成長につながる。真の失敗などない。失敗は次への成長なのである。

 

目的と目標

そこで挑戦への過程を目的と目標に分けて考えたい。ノーブルゴールは、私なりの解釈だがまさに目的の最上級だと思う。勝利至上主義の考えは、勝利という目標達成である。ノーブルゴールがないと、勝利できなかった場合、あるいは勝利に貢献できないメンバー外いわゆる補欠選手は何のために高校野球をやっていくのか。保護者は我が息子に何と声を掛け、叱咤激励するのか。考えるだけでもゾッとする。

 

勝負以外の事を大切にする事で意識の方向が変わる

生徒自身のノーブルゴールが決まると、競技以外のことを大切にしてくる。例えば、授業に対する姿勢や掃除、挨拶、中には字が綺麗になってくる生徒すら出てくる。今挙げた項目は、幼い頃から先生や保護者から口うるさく言われてきたことではないだろうか。しかし、子供自身が自主的に、主体的に行動してくる。取り組む姿勢が変わってくるのである。

自分が確立されてくると、自分を研究し始め、他人に力を費やす。そこにチームワークが生まれ、心に余裕が生まれる。さらに楽しさが生まれ、勝負に近づく。

 

頑張り方を教えるのが教育

取り組み姿勢が変わってくると、あとは競技に対して結果を出す為の頑張り方を教えていくことである。まさにここで取り組む上でポイントとなるのはEQである。自分の中に湧いた感情をエネルギーにして取り組んでいる姿がある。成果は明確である。

野球を通して頑張り方(感情コントロール、努力等)を教えているのである。

 

「知る、分かる、出来る、教える」の段階こそ教育

私の役割は勝つことを教えるのではない。「勝っていくためには」「失敗してもまた立ち上がるためには」「これからの人生に向かっていくには」を伝えることであり、それこそが教育ではないだろうか。知識のない子供に教え、それを「はい!わかりました!」と言う日本のスポーツならではの言葉で済まさず(私の見てきた海外の例では、選手が練習内容を理解するまで練習を始めない)、理解させ、できる為の方法や感情を習得させ、そして、最後には他人にも指導までできる人材育成こそ教育であり、ただそれを野球というスポーツを通じて行なっているだけに過ぎない。

 

EQプラクティショナー 野球監督/教師

濱野 洋