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ドラッカーが伝えたかったこと(2)「オーストリア/フランクフルト時代」

2018年10月15日 | 

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10月より連載を始めた、シックスセカンズジャパン経営研究センター今村フェローによる「ドラッカーが伝えたかったこと」。ご期待いただきありがとうございます。
 

 

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 ドラッカーは2005年11月11日、ロサンゼルス郊外の大学町クレアモント市でなくなった。彼をアメリカ人と思っている人も多いが、1910年、オーストリアの政府高官と女医の家に生まれた。
 彼が20歳で社会に出た当時、オーストリアは、第一次世界大戦の敗戦国であり経済的にも疲弊していた。そこにプロパガンダ集団としてナチスが登場、人気を博した。多くの知識人がナチの政策を「ほら話」「与太話」と考え、まさか選挙で政権を取るとは思ってもみなかった。このあたりの事情は自伝「傍観者の時代」に詳しい。(*)

シュタール評論の出版と発禁、ロンドンへ

 一般的にはドラッカーの処女作は「経済人の終わり」であり、チャーチルによって絶賛された、と理解されている。彼には「幻の処女作」がある。それはドイツの保守政治哲学者フリートリッヒ・ユリウス・シュタールに関わる評論。薄い新書版のこの書籍は、出版と同時にナチによって発禁処分となり同日、ドラッカーはロンドンに逃げている。ドラッカーはのちに、限界があった自由主義経済に対し、社会の底辺層に政治的経済的特権を与えたのが全体主義(ナチズムが代表)、党にそれを与えたのが共産主義と考えた。いずれも自由主義とは比較にならぬ失敗(数百万にも上る人命の損失)を生んだ。しかもドイツの場合は、当時世界一民主的とされたワイマール憲法のもとで人々が自ら選挙で選んだ結果だった。
 後年ドラッカーは、「自由とは何かからの自由ではない、それはわがままに過ぎない。何かをするかしないか、ある選択肢を取るか別の選択肢を取るかが自由であって、その結果としての責任を受け入れなければならない」という意味のことを言っている。さらに責任というものも、説明責任と、その約束事を自分の意志としてコミットするという内発的責任の二つにわかれるものだ、とも説明している。これこそが第四回で説明する真のMBOの根拠になっている。

 ドラッカーの両親を含めて、多くの知識人たちはナチが本当に政権を取るとは思っていなかった。なぜなら経済的に疲弊した社会のなかで、政治的プロパガンダを面白おかしく主張する集団にすぎないから、と考えたからだ。またナチ自身にもそんな意志はなかろう、というのが知識階級の常識だった。そしてナチや共産主義は、20世紀に入って、ヨーロッパの精神的・社会的秩序が崩壊していたところに入り込んだ、というのがドラッカー自身の考え方。ではどうしたらこんなバカなことを二度と起こさぬ世界が作れるのか、次善の制度である自由主義経済体制も、富の偏在化・一人一人を必ずしも大切にしないという弱点を抱えている。どうしたらよいだろうか?これこそが、のちにマネジメントを構築し、「機能する社会(Functional Society)」を考えた根幹である。産業革命によって生産手段が変化し、テイラーイズムによる大量生産によって経済活動が活性化する。その過程を人は組織に属することによって入手し成果を出す。その「組織」の代表が企業。ところが企業は組織目標達成のために、それに参加する個人の真の目標を達成させることがなかなか難しい。結果、個人を全面的には活用しきれない。ではどうするのか?その対応には「マネジメント」という答があり、これをうまく用いれば、人が最大の成果を活き活きと出しつつ企業組織も社会に富と価値を提供し続ける。「経済人の終わり」「産業人の未来」「企業とは何か」という実に難解な初期三部作を理解する鍵とは「機能する社会の観点で読む」ということだ。「機能する社会」という言葉は後年の著作群にはほとんど出てこないがドラッカーを理解するにはキーとなる言葉である。マチャレロ教授/ドラッカー研究所からはこのように教えられた。

次回はGMからヒントを得たマネジメントについてお話しましょう。

(*)「傍観者の時代」より:演説する若いナチ党員「パン職人にはヨーロッパ一高いパンの値段を約束する。また一般消費者にはヨーロッパ一安いパンを約束する。これこそナチが約束するパンの値段である!」聴衆、面白がって拍手喝采!(要旨)という場面がある。

シックスセカンズジャパン株式会社
経営研究センター フェロー
今村哲也


 

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