プルチック・モデルで読み解く「ネガティブ感情」の正体
by : Joshua Freedman, Six Seconds Global |
2025年6月27日 |
感情とはそもそも何を意味し、なぜ私たちは感情を感じるのでしょうか?
感情を「良い」か「悪い」かで判断してしまうと、いつも自分の感情と葛藤してしまいがちです。 では、感情に対して他にどんな見方があるのでしょうか?このような二元的な考え方を脱し、すべての感情とうまく付き合うにはどうしたらいいのでしょうか?
By Joshua Freedman, MCC
何気ない日常の中の親子の姿を思い浮かべてください。例えば、8歳くらいの男の子がいます。彼の親はやることが山ほどある中、家事にも追われる忙しい毎日を送っており、一日を終えるころには、誰もがすっかり疲れきってしまっています。子どもはいつも通り、子どもらしく過ごしていました。でも、ある出来事が起きて、気持ちが乱れてしまいます。何があったかは問題じゃなくて、きっと彼にとっても、今日はとても長く、しんどい一日だったんです。
彼は感情を爆発させました。物を叩き、何かを蹴飛ばし、大声で叫び、感情の波に押し流されていきます。そして、親にどう思われるかという不安が重なって、泣き出してしまいます。
では、親のよくある反応は何でしょうか?多くの場合、それは「やめなさい」という言葉です。これは、子どもの感情を無視する明確なメッセージになります。私たちの多くはこうしたメッセージを受けながら育ち、「感情の中には悪いものもある」と学んできました。でも、もしそれが間違いだとしたらどうでしょうか?
感情を無視する
これまでの人生で経験してきた感情 -怒り、恐怖、傷つき、嫉妬…。その感情から、あなたはどんなことを学びましたか?また、これらの感情について、周囲からどんなメッセージやストーリーを受け取ってきましたか?
私はこれまでに100カ国以上の人々と仕事をしてきましたが、
どの国の人々も、口をそろえてこう言います。怒りや恐怖、嫉妬、傷ついた気持ちーそういった感情は「ネガティブなもの」だと。中には、それらを「悪い感情」と考えている人もいます。それらの感情は、不快で、圧倒的で、怖くて、自分ではコントロールできない。そして私たちは、そうした“悪い感情”を感じる自分に、さらに“悪い気持ち”を抱いてしまうのです。
では、何か悪いことが起きたとき 私たちが自然にとる、そして理にかなっていると信じている反応とは何でしょうか?それは、 感情をコントロールしようとすること。 押しのける。覆い隠す。押しつぶす。あるいは、少なくとも「見せないようにする」こと。場合によっては、セラピーを受けて、ようやく「感情をマネジメントする」術を身につけることもあります。マージ・シンプソンがリサに言ったように: 「その嫌な気持ちはグッと下に押し込むの。どんどん下へ、もっと下へ押し込んで、その上に立って笑うのよ。」
では、こうした難しい感情を「受け入れる」という選択肢はどうでしょうか?
最近では、「ポジティブな」感情については、多くの人が進んで受け入れるようになってきました。 “幸せブーム”も少しずつ落ち着きを見せていますが、それでもなお、「幸せは良いもの。だから、幸せを感じていないなら、どこかおかしい」というメッセージは、社会のあちこちに根強く残っています。
こうした考え方には、見過ごせない問題があります。
私たちは、感情という大切な動機づけの力を、ごく一部の「望ましい」感情にだけ限定してしまっているのです。ある感情は「良い」とされる一方で、他の感情は「悪い」とされ、排除されてしまう。
私はこの24年間、感情は前向きな変化の原動力になりうるということを伝えてきました。
そして今では、自分の感情を“悪者”にしてしまうことこそが、EQ(感情知能)を育てる上で最大の障壁になる、そう確信するようになっています。
感情そのものへの見方を変えることで、感情を自分の味方につけることができるとしたら?」
プルチックの感情の輪で感情を深く理解する
プルチック・モデルは、感情の意味を探るための美しく、実用的なフレームワークを提供してくれます。このセクションでは、まずこのモデルの仕組みと価値についてご紹介し、
感情を「良い/悪い」という二元的な視点で捉えることの致命的な欠点にも目を向けていきます。そして、そこから見えてくる「別の見方」についても、一緒に探っていきましょう。
まだ私たちのインタラクティブ版「プルチック・モデル」を体験されたことがない方は、ぜひ一度試してみてください。この「感情の輪」が、なぜそんなにも役に立つのか、きっとその理由がわかるはずです。以下では、プルチック・モデルの構造や意味、そしてその限界についても、もう少し深く掘り下げていきます。
プルチックの「感情の輪」は、なぜ役に立つのか?
ロバート・プルチックは心理学者であり、人間を含む動物がどのように感情を生存に役立てているのかに強い関心を持っていました。
彼はダーウィンの考えを継承し、「それぞれの感情は環境に適応するための発生理由がある」と主張しました。つまり、感情は脅威やチャンスに私たちを気づかせてくれるサインであり、また、種を超えた共通のコミュニケーション手段として、生存を助けている―という考え方です。たとえば、オオカミの怒った唸り声を聞いたことがある人や、子犬の無邪気な笑顔に心を奪われたことがある人なら、きっとこのことが感覚的に理解できるはずです。
プルチックは、「基本感情」を8つに分類し、それらを立体的な「アイスクリームコーン型」のモデル(感情の輪の左上にある図)で表しました。彼は、これらの感情を“生理的な反応”に基づいて対になるように配置しています。
たとえば:
●怒っている犬は、体を大きく見せ、声を出し、脅威に向かっていこうとします。
●怯えている犬は、体を小さく縮こまらせ、静かになり、脅威から距離を取ろうとします。
多くの感情研究者は、感情を「よく一緒に感じるかどうか」といった経験的な基準で分類します。たとえば、恐れと怒りを隣り合わせに置くことが多いのは、それらを同時に感じる場面が多いからです。しかしプルチックは、あくまで生理的な反応の違いという観点から感情を分類していたのが特徴的です。
感情はサインである:感情の意味を理解する
感情にはさまざまな定義があります。(「感情」「気持ち」「気分」の違いについてはこちらをご覧ください。)中でも「それぞれの感情はには環境に適応するための発生理由がある」という視点を持つ研究者は、
感情をこう定義します。感情とは、私たちが生き延び、成長するための基本的な生理的反応であり、 (a)脅威やチャンスに注意を向けさせ、(b)何らかの行動を促すサインである、と。
たとえば、怒りは「自分の進みたい道が妨げられている」というサインです。私たちが昇進を望んでいるにもかかわらず、誰かにそれを邪魔されていると感じたとき、怒りが湧きます。この怒りは脅威に意識を集中させ、障害を乗り越えるために戦おうとする動機を引き出してくれるのです。
以下は、プルチックの8つの基本感情について、
それぞれがどのような対象に意識を向けさせ、どのような反応を促すのかをまとめた表です。
それは、まず「今、何が重要か」に気づかせてくれること。
そして、その気づきに基づいて行動を起こすためのエネルギーを与えてくれることです。」
感情を「対になるもの」として捉えることの良い点と悪い点
たとえば先ほど紹介したプルチックの感情モデルは、自分の感情体験を理解するための有効な手がかりとなります。このモデルは、「感情には目的があること」や「すべての感情に価値があること」を視覚的に示してくれるため、とても役立ちます。
しかし一方で、プルチック自身は「それぞれの感情はには環境に適応するための発生理由がある」と考えていたにもかかわらず、このモデルでは感情が「問題」や「脅威」と強く結びついて表現されているため、どうしても一部の感情が“ネガティブなもの”として受け取られやすいのです。
そして、「この感情は悪い」と判断してしまうと、人はその感情を感じないようにしようとします。
つまり、感情を抑え込むという戦略を選びやすくなってしまいます。では、感情を抑圧することにはどのような問題があるのでしょうか?たしかに、短期的には「とりあえず気持ちを抑える」ことで場面を乗り切れることもあります。しかし、長期的には逆効果になることが、さまざまな研究で示されています。たとえば、ある研究では感情を抑えることで思考力や判断力が低下することが明らかになっています。別の研究では、抑圧された感情がさらに強まることで心理的ストレスが増す傾向も指摘されています。さらには、いわゆる“ネガティブな感情”を抑えることが、幸福感そのものを下げてしまうという報告もあります。
私が現場でよく出会う課題のひとつに、「ある感情=悪い」と思い込んでしまい、自分自身に対して「こんな感情を持つ自分はおかしい」と感じてしまうケースがあります。
以前、あるクライアントとのコーチングで、こんなやりとりがありました。私の説明を聞いた彼女は静かにこう言いました。「“ネガティブな感情なんてない”って頭ではわかってるつもりなんです。でも、私は“怒り”に問題があるんです。」さらに詳しく聞くと、彼女の結論はこうでした。「怒りは悪いものだから、怒りを感じる私は悪い人間だ。」どんなに努力しても、この感情に関する彼女の文化的な規範が非常に深く根付いていたため、その壁を乗り越えることは容易ではありませんでした。
作家マリリン・ファーガソンは、恐れという感情についてこう語っています。
問題に結びついた感情を否定的に判断せずに説明するには?
私たちはしばしば、怒りや悲しみ、不安といった感情を「ネガティブなもの」と見なしがちです。このような“ネガティブバイアス”を軽減しようと、「快い/不快」という分類で感情を判断から切り離そうとする試みもあります。しかし実際には、「不快」とされる感情が必ずしも不快とは限りません。たとえば、私が息子に反抗されたと感じて怒りを表したとき、その怒りがむしろ“心地よい”と感じられたことがあります。また、父が亡くなったときの深い悲しみは、“つらさの中にある正しさ”のような感覚でした。このように、感情は単純に快・不快で割り切れるものではないのです。
もうひとつのアプローチとして、感情を「収縮」と「拡大」という二つの方向性で捉える考え方があります。
●問題に関連した感情(怒り、悲しみ、恐怖など)は、注意を内側に向け、視野を狭め、リスクを避けようとする「収縮」の性質を持ちます。
●一方で、感情の中には、外に目を向け、人や世界に対してオープンになり、挑戦しようとする「拡大」のエネルギーをもたらすもの(希望、喜び、信頼など)もあります。
私はこの「収縮/拡大」のモデルを好んでいます。なぜなら、これは感情を善悪で評価するのではなく、中立的で批判的な視点を伴わない分類だからです。
とはいえ、私はさらに一歩踏み出したいと思っています。どうすれば、「ネガティブな感情」という言葉の罠から抜け出し、あらゆる評価を手放して感情を捉え直せるでしょうか?
仏教をはじめ多くの宗教や哲学には、「非二元性」という考え方があります。 これは、善と悪、正と誤という二項対立で世界を見るのではなく、異なる側面がひとつの全体の中に共存していると捉えるものです。陰陽のシンボルはその象徴であり、黒と白が一つの円の中で絡み合い、分かちがたく存在しています。 どちらが良い、悪いではなく、互いを引き立て合う関係なのです。
もし自分の感情を「ジャッジすること」をやめたら、どんな気持ちになるでしょうか?そして、感情が “自分から自分への中立的なメッセージ” だとしたら―それはどんな意味を持つでしょう?
すべての感情を尊重する――非二元論的な視点の可能性
私たちは感情を、「良い/悪い」「快い/不快」「拡大/収縮」といった対立的な枠組みで捉えがちです。しかし、本当に感情はこうした単純な分類だけで説明できるものでしょうか?私の実践では、感情を「連続体(スペクトル)」として捉える考え方をよく使います。例えば、ある感情とその反対の感情を軸の両端に置き、その間を揺れ動くグラデーションのようにイメージします。この見方は、感情の多様性や複雑さを理解するうえで役立ちます。とはいえ、このモデルも「正 vs. 負」という構造の上に成り立っているため、二元論の影響を完全には拭いきれません。ここからは、代表的な感情をいくつか取り上げながら、それぞれがどんな“意味”や“価値”を持っているのかを見ていきましょう。どの感情も、私たちの内側にある何か大切なものを守ろうとする反応であることがわかります。
プルチックの感情モデルでは、怒りは「進みたいのに進めない」ときに生じる感情です。つまり、怒りは「どこかに行きたい」「何かを変えたい」という強い意志の表れです。
裏返せば、強い関心や想いがなければ怒りは生まれません。怒りは単独で存在するのではなく、「願い」や「決意」、「期待」といった他の感情とも深く関わっています。
こうして見ると、怒りは“ネガティブ”というより「前進のためのエネルギー」と捉えられます。
恐怖は、何かが脅かされていることを知らせてくれる感情です。もしその対象に価値を感じていなければ、恐怖も感じません。たとえば、愛する人が危険にさらされているとき、恐怖は強くなります。このように、恐怖と思いやり(愛)は矛盾ではなく、むしろ表裏一体の関係にあります。これは感情の“非二元的な性質”を示す象徴的な例です。
悲しみは喪失に対する自然な反応ですが、その奥には「それだけ大切だった」という意味があります。大きな悲しみは深い愛情やつながりの証でもあります。つまり、悲しみは単なる“ネガティブな感情”ではなく、人生の価値や喜びに深く結びついた感情なのです。
嫌悪感は、何かが「許容範囲を超えた」ときに生じます。例えば、社会的なルールや信頼関係が破られたときに嫌悪感を覚えることがあります。この感情を通じて、自分が「何に価値を置いているか」を自覚する機会を得ています。嫌悪感は単なる拒絶反応ではなく、安全や尊重といった価値観を守るサインなのです。
本当に感情は「対立」しているのでしょうか?
私はこれまで、「感情は対立するものではなく、全体として捉えるものだ」という考え方に深く納得してきました。たとえば、ろうそくの光と影のように、一見正反対に見えるものでも、どちらも全体の一部として共に存在している、そんなイメージです。けれども、どこか説明しきれない何かが残っているようにも感じていました。
この問題について何年も考え続けてきましたが、最近、興味深い考えを耳にする機会がありました。ハーバード大学ロースクールとメディカルスクールの教授で、『Beyond Reason: Using Emotions as You Negotiate』の共著者でもあるダン・シャピロ氏とのパネルディスカッションに参加したのです。この会議は、ハーバード大学ロースクールで開催され、交渉における「Emotional Intelligence」と「Spiritual Intelligence」をテーマにしていました。
複雑な交渉の現場で、まず感情を認識し、実際に扱うことの難しさについて、シャピロ氏は一言で「本当に難しい!」と表現しました。そこで彼が提案したのは、「感情に気づくこと」以上に、「その奥にある基本的なニーズに目を向ける」ことの重要性でした。
彼によれば、人間の基本的なニーズは比較的少なく、5つ程度に絞ることができるため、そこに焦点を当てたほうがより建設的な対話が可能になるというのです。こうした基本的ニーズに配慮することで、より誠実で実りある交渉が実現できる。それが彼の強く説得力のある主張でした。
感情と良好な関係を築いていくのは、本当に大変です!
私たちは感情について抽象的に考える一方で、内臓からわき上がるような生々しい感覚も無視することはできません。感情はときに激しく、ときに混乱を招き、私たちを圧倒したり、迷わせたりします。けれども、もしかすると、そんな混沌の中にこそ、もっとも深い洞察が潜んでいるのかもしれません。
一般的には、基本的なニーズが満たされているかどうかによって、さまざまな感情が現れると考えられています。マーシャル・ローゼンバーグとその仲間たちは『非暴力コミュニケーション』の中で、このメカニズムを巧みに描いています。しかし、このモデルには一つの限界があります。それは、感情を「満たされた/満たされていない」という二元論でとらえている点です。
たとえば、悲しみは本当に「満たされなかったニーズ」から生まれるのでしょうか?
あるいは、「深く愛したからこそ」悲しみが生まれるという側面もあるのではないでしょうか?
ハーバード大学のダン・シャピロ教授が、交渉における感情のダイナミクスを語る中で「基本的なニーズ」に触れたことが、私にとって大きなヒントになりました。それは、感情を「満たされた/満たされていない」のようなシンプルな二項対立で捉えるのではなく、どんな感情も“何か大切なこと”を教えてくれているサインではないかという視点です。
もし、感情が「あなたの中で何か大切なことが起こっている」というメッセージだとしたら、私たちはそれにどう向き合えるでしょうか?
私はこの考え方をもとに、感情を単なる対立的なものとしてではなく、すべてが意味ある「サイン」だと捉えるようになりました。以下はそのいくつかの例です。
怒りは、「行動したい」「実現したい」という欲求と深く結びついています。達成感や効果的に前進することへのニーズが満たされないとき、怒りが表れることは自然な反応です。
嫌悪は、社会的な契約やルールが壊れかけているというサインです。自分の内なる価値観に背いたとき、私たちは自己嫌悪を感じることもあります。一方で、信頼は安全や安定の感情であり、嫌悪とバランスを取る位置にあります。両者は、安全・安心という基本的ニーズとつながっています。
恐怖は、無生物であっても(たとえば家を失うことなど)対象に対するつながりへの不安を映し出します。けれどもその奥には、他者との関係性や絆を守りたい、調和やバランスを保ちたいという帰属意識、愛への欲求が潜んでいます。
悲しみは失ったものに対する自然な反応です。しかしその悲しみは、かつて何かを大切に思っていた証でもあります。喜びは、私たちがその意味や価値を深く実感したときに湧き上がるものであり、前頭前皮質で生まれる内なる報酬でもあります。どちらも目的意識や“生きる意味”とつながっているのです。
感情を解き放つ
Six Secondsの基礎講座Unlocking EQでは、感情を“鍵”にたとえています。鍵にはタグが付いていて、その表と裏には対になる感情のペアが書かれています。このようにして、感情を「扉を開くためのカギ」として捉える比喩を使いながら、感情の理解をさらに深めていくモデルとなっています。
私が個人的に難しく感じているのは、「孤独」と「受け入れられる」という感情の組み合わせです。これまでの人生で孤独を感じることが多く、その意味がわからないまま、ずっとネガティブなものとして捉えてきました。でも、もしこの長年の孤独が、何かへの「誘い」だったとしたらどうでしょう?「孤独」と「受け入れられる」という感覚は、対立するものではなく、どちらも本当に大切なことについて、私に何かを伝えてくれているのかもしれません。
上の写真に示されているもう一つのペア、「希望」と「絶望」もまた、理解するのが難しい組み合わせです。絶望は、ときに胸が張り裂けるような経験です。その真っ只中にいると、もう二度と希望なんて訪れないのではないか、とさえ思えてしまいます。でも、そんな絶望の中にある私たちは、実はとても深い思いやりを抱いているのです。無関心ではなく、「もしもこうだったら」と、ありえた未来を嘆いているからこそ苦しいのです。だからこそ、絶望の瞬間にこそ、楽観性を発揮するという選択があります。それは、私たち自身が人生の可能性や意味を追いかけていく「当事者」なのだと、気づかせてくれるチャンスでもあるのです。
こうした難しい感情すべてに対して、私にとって大切な転換のカギは、「抵抗するのをやめること」でした。「この感情には意味がある。私を助けようとしてくれている。それは、私が“本当に大事だと感じていること”についてのメッセージなんだ」そう思うことです。
そんなとき、私の支えになっているのがセネカのこの言葉です:
涙を流すことは、心の平安や調和と矛盾するものではない。
― セネカ(ローマの劇作家・哲学者・政治家 紀元前5年ごろ〜紀元後65年)
感情についての理解を深めるうえで、多くの先人たちの知見にも支えられてきました。
感情がペアで現れることを教えてくれたアイマン・サワフ氏、それぞれの感情はには環境に適応するための発生理由があること を示してくれたデイビッド・カルーソ氏、そして感情とニーズの関係について深く考えさせてくれたダン・シャピロ氏に、心から感謝しています。
EQの扉を開く基礎講座Unlocking EQの日程はこちら≫
感情について覚えておきたい3つのポイント
日々の生活の中には、ここで紹介する以外にもたくさんの「基本的なニーズ」があり、さらに数え切れないほどの「欲求」も存在します。そして、そうしたニーズや欲求は、さまざまな感情と深く結びついています。感情の複雑さを理解し、うまく扱えるようになるためには、いったんシンプルに考えることがとても効果的です。ここでは、正確さをやや犠牲にしてでも、ぜひ覚えておいていただきたい3つのポイントをご紹介します。
感情には意味があります。
必ずしもそれに従う必要はありませんが、無視してしまうのも得策ではありません。
感情は、心の中にある「大切にしたいこと」や「満たしたいニーズ」と深くつながっています。
だから、自分や誰かの感情を理解しようとするとき、「この感情は、どんなニーズが関係しているんだろう?」と考えてみるとヒントが見つかるかもしれません。
感情はときに不快で、コントロールが難しく感じられるかもしれません。
でも、感情を否定したり、それを感じている自分や他人を責めたりする必要はありません。
感情の一つひとつが、あなたの人生にとって本当に大切な“物語”の一部なのです。
原文:Integrated Emotions: Rethinking feelings as allies so we can escape the ‘negative emotions’ trap

シックスセカンズの共同設立者であり、現CEO。ICF認定「マスターコーチ」であり、著書である「At the Heart of Leadership」は世界的ベストセラーとなっている。「思いやり」と「目的意識」の交わりによって発火する炎に情熱を注ぐ。
私がEQに情熱を注ぐ理由は…人が自分の感情の重要性に気づく瞬間があり…私たちには感情、思考、行動についての選択権があることを伝えたい…そして、自由、オーセンティシティ、目的の輝きを共に喜びたいから。
EQを知る、EQを実践する
Six Secondsグループは、グローバルで、科学に基づき、実用性の高いEQを世界各国で伝えています。日本オフィスであるシックスセカンズジャパンでは、最先端のEQの情報を日本語で発信するほか、Six Seconds国際認定資格セミナーの国内開催を行い、資格を持ち日本各地で活躍するEQチェンジエージェントと共に日本全国へEQを届けております。