講師の想いを届ける 第1弾:EQAC講師 斎藤良さん
by : 株式会社コンビンスアイ|齋藤良 |
2026年2月12日 |
EQ, EQAC, EQコラム, ノーブルゴールの追求, 自己探求
講師の想いを届ける企画、今回の記事はEQアセッサー認定講座(EQAC)講師・斎藤良さんが、自身の体験からEQとの関わりを振り返ったストーリーです。

溶け込んでいく、という変化
私とEQとの出会い、それは特に劇的なものでも運命的な予感に満ちたものでもありませんでした。
十数年前、組織という庇護を離れ、自分で生業を立てていくという選択をしたとき、「人事系の仕事をしていくなら何か心理検査を扱える方がいい。EQアセスメントというのがあるんだけど、良ければ紹介するよ」と、ある先輩に実務的な助言として勧められたのがEQを知るきっかけです。
その時点ではEQに関する知識は皆無でしたし、正直、前のめりになる程の興味はさほどありませんでした。あくまで、”独立して生計を立てていかなければいけない、この能力開発ツールが売上に結びつくなら”といった打算的な商売道具の一つとしてしか捉えていなかったように思います。実際に初めて受講したEQアセッサー認定講座(EQAC)の最中であっても、このEQというツールがいかに効率よく利益を生み出すのかという考えが頭の中をよぎっていた気がします。

EQに対してそれほど興味や思い入れがあった訳ではない私ですが、十年の月日が流れた今はどうでしょうか。今は強い思い入れがある!というのは必ずしも正確な表現ではなく、徐々に日常の中に溶け込んできている(そして今も現在進行形)という表現の方がより正確だと思います。十年のときを経て、春の日射しが冬の終わりの雪を透かして芽吹き始めた大地にジワジワと染み込む感覚、といったところでしょうか。
では、EQと知り合ってから私の日常のどんな場面でEQが溶け込んできているのか、具体的に少しご紹介できればと思います。
“当たり前”は当たり前じゃない
娘が大学生の頃の事ですから、今から五年ほど前のことでしょうか。
彼女は昔から顔にある黒子(ほくろ)がずっと気になっていたらしく、思い切って除去することにしたそうです。その連絡を受けた際、「近親者の同意と付き添いが必要みたいだから、当日来てほしい」と言われました。”もう二十歳超えているんだし、付き添いなんて大袈裟な…”と思いつつも、当日、渋谷にある指定された美容整形クリニックへ私は向かいました。
受付を済ませ、執刀医の先生からインフォームド・コンセントの説明を受けるため娘と二人で診察室へ入ると、なぜか先生は当事者の娘よりも私に興味津々といった様子でした。かなりの違和感と居心地の悪さを覚えた私は「先生、お願いしているのはこの子(娘)なんですが、、」と口火を切ってみましたが、すぐに先生から「お父さん!」と遮断されてしまいました。
(※ここでお伝えしておきますと、私は生まれつき右の耳が塞がった状態(今はこういう言葉を使っていいのか分かりませんが、一種の奇形)で生まれてきました。医学的には右耳にも聴力が全くない訳ではないそうなので障がいとは言わないそうですが、私の自覚としては右側は聞こえていません。将来大きくなってマスクや眼鏡を掛けられるようにと、両親が奔走し、五歳の時に合計四回の形成手術を都内の総合病院で施してもらいました)
果たして、その先生は矢継ぎ早に「お父さん、どこでその手術された?、何年前にやられたの?、どの病院?どの先生?○○先生?□□先生?」と質問攻めしてくると同時に、「いいから、いいから、ちょっと診せて」と言いながら私の耳をズケズケと触ってくるのです。
その時点で娘はかなり引いてましたし、私も閉口してしまいましたが、先生は続けてこう言いました。
「お父さん、多分、四、五十年も前のことでしょ。どの先生がやったか分かれば後日また教えてほしいんだけど、すごい技術ですよ。ホントよく出来てるわ。今でもこれそんなに簡単な形成手術じゃないんですよ、まして当時の医療で、って考えるとね」
その後、娘の黒子除去手術は無事に終わり、国道246号沿いを二人でてくてく歩きながら「変わった先生だったね」「好奇心の塊って感じだったね」などと笑い合いつつ渋谷駅に向かいました。娘はそのまま学校へ行く用事があるというので駅の改札で別れ、私は次のアポ場所へ向かうべく改札に背を向けました。一人になったその瞬間、突然涙が溢れてきました。止めようにも止めることができない大粒の涙がこぼれ落ちてきました。”父さん、母さん、ありがとう。本当にありがとう。おじいちゃん、おばあちゃん、親戚のおじさん、おばさん、ありがとう。手術のお金を工面してくれてありがとう”、そんな感謝の気持ちが溢れ出していました。五十歳のおっさんが人の行き交う渋谷駅で嗚咽しているという滑稽極まりない状況だと認識しつつも、涙を止めることができませんでした。
私たちは普段当たり前のように日常を過ごしがちですが、例えば病気を患ったり、近しい人を早く亡くしてしまったりすると、当たり前のことなんて決してないと、普段の平凡な日常に感謝できることがあるのではないでしょうか。”どうしてこんな形で生まれてきたんだろう”という幾ばくかの被害者意識を持ちながら生きてきた私ですが、周りの皆さんのおかげで作ってもらったこの耳は決して当たり前に出来ている訳ではないと知り、愛おしさと感謝の気持ちで満たされる感覚を覚えました。
そして、このことはきっとEQアセスメントで測っている私のクオリティオブライフ(QOL、生活の質)の深層を支えてくれているように思います。
ところで、シックスセカンズのEQモデルには「ノーブルゴール」という概念があります。その人の人生の羅針盤になるようなものですが、とても難しい概念です。実際、私がEQをお伝えしている様々な場面において、このノーブルゴールをすんなり理解できるという方はほぼいませんし、「ご自身のノーブルゴールは何?」という問いに対しては頭を抱える方がほとんどです。ノーブルゴールは人生を通じて探していく道標になり得ますが、現時点で「あなたのノーブルゴールは何?」と問われれば、私はこう答えると思います。
日々の暮らしは、利害や損得、あるいは払拭できないエゴに囚われ、清廉なものとは恥ずかしながら言いがたい気がしています。決して綺麗事だけでは生きていけないのがこの世の常なのかも知れませんが。それでも、ふとした瞬間に自分のノーブルゴールへと立ち返り、ささやかな日々の選択を積み重ねていく、そんな心掛けだけは普段から持てるように意識しています。
結局、その意識と自己選択が「自分を活かす(Give yourself)」というEQモデルのKCG実践につながるような気がしています。
問いがくれた、次の一歩
先日、ある企業のマネジメント層向けに実施しているEQを用いたリーダーシップ開発プログラム内で、受講者のお一人からこんな質問を受けました。「シックスセカンズのEQアセスメントにはサクセスファクター(成功要因)というものがありますが、その中のウェルビーイング(WB、心身の充足感)とクオリティオブライフの違いがよく分かりません。自分の場合、WBは高めですがQOLはかなり低いです」。
一通りそれぞれの概念を解説しつつ、私は、私自身の最近のアセスメント結果がその受講者とは真逆の状態になっていることに気づき、こんなことに思いが及びました。
“QOLが高く出ている今の自分は、仕事にも家族にもそしてそのバランスも恵まれた状態を過ごせていると実感できている一方で、そのことに安住するが故に、(年齢的に徐々に老いていくことも含め)潜在的に感じている健康不安には目を逸らし続けているのではないか、これからの健康を維持していく上で今はその分岐点に立っているのではないか。やり過ごしたり徒に不安がってばかりではなく体力を保つための行動を取ろう”、そんなことを強く感じました。
そのときはEQを伝える側の立場ではありましたが、EQの理解を通じて受講者も私も共に自己探求が深められた時間、そんな感覚になる出来事でした。人の思考や感情を扱うEQの学びとは、本来、そういった双方向のやり取りの中から生まれやすいものなのかも知れません。
変哲のない日々の暮らしの中で意識的に自分と向き合い、感情に目を向けてその知能を高めていくことは、固有の心豊かな人生を生きることに繋がると、私は信じています。そして、世の中の多くの人がその自己探求を深めていくことができるとすれば、数多の自己洞察の気付きが化学反応的に生まれ、実りある人生の歩みを進められる人が増え続けていくのではないか、そんな希望を抱いています。
株式会社コンビンスアイ
代表 齋藤良
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Six Secondsグループは、グローバルで、科学に基づき、実用性の高いEQを世界各国で伝えています。日本オフィスであるシックスセカンズジャパンでは、最先端のEQの情報を日本語で発信するほか、Six Seconds国際認定資格セミナーの国内開催を行い、資格を持ち日本各地で活躍するEQチェンジエージェントと共に日本全国へEQを届けております。
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