「責任・主体性」を促す組織風土を生むための4つの問い
by : Six Seconds本部 CEO Joshua Freedman |
2019年12月9日 |
ふらふらと優柔不断になることなく明確にコミットができ、自分自身やチームメンバーにやる気をみなぎらせる。
「信頼感のあるコミュニケーション」を、あなたは実践できていますか?
あなたやチームへ「責任・主体性」を促す組織風土を生むためのリマインダーとなるような
4つの問いをポスターにしました。ダウンロードはこちらから。
米国本部が2011年1月15日に初版を発表、その後2019年10月に一部改訂を行った「Creating a Culture of Accountability: The 4 Checkpoints of Accountable Communication」の日本語翻訳です。
画像をクリックすると米国本部の原文記事をお読みいただけます
「責任・主体性」を持たせることは可能なのか
責任を持って仕事をさせる、ということは、やってもらいたいことを確実にやってもらうためのシステムのこと、と話す人がいます。言い換えると、「従順になってもらう方法」のこと。
これは、権力のある人が飴とムチ、すなわちご褒美と罰を与えるようなシステムです。このシステムでは、”上司”が期待値をまずセットして、”下の人”たちがこれに従って行動をすることになります。従わなかった人に罰を与える、というルールを通じて責任を持ってもらうのです。
確かにこれで部下は従うかもしれません。ですが、彼らは罰への恐れやご褒美を得たいという欲、すなわち外発的なモチベーションから仕事をすることになります。そういった関係性の中では、「飴とムチ」の存在感はことのほか絶大で、自発的な行動はなかなか発生しません。従って、”下の人たち”は、自分の身に不利益が起こる可能性があるときにだけ、仕事を行うことになります。これは恐怖からくる服従であり、責任からくる行動では到底ありません。
「責任・主体性」とは、一体何なのか
責任とは、自分の選択から生まれた結果に対する責任を引き受ける、ということです。その結果がたとえ成功であれ、失敗であれ、自分の人生の手綱を握るということ―――。
この定義に基づけば、誰かに責任を持たせる、などいうことは私にはできません。私にできるのは、メンバーが責任感を持てるような場であり機会でありその意義を、用意することだと思っています。誰かの人生の責任を私が取ろうとするなら、実のところ、私がその人自身の責任・主体性を奪い去ってしまうのと同じことです。
あなたは今、自分でハンドルを握っていますか?
責任が、「自分の結果に責任を持つ」「自分の選択から生まれた結果に対する責任を引き受ける」ということなら、その逆は何でしょう?
無責任とは、オーナーシップを放棄する、自分の失敗を人に押し付ける、ということです。自ら犠牲者になること、とも言えます。職場や周囲にいる無責任な人を思い浮かべてみてください。失敗と成功に対する責任をどのように、対応するかイメージできますか?では、その無責任な人と一緒に車に乗っているところを想像してみてください。「責任感」をめぐる問題はシンプルです。
「あなたは自分の人生を、そういった人の運転する車で走りたいですか?それとも自分でハンドルを握り運転したいですか?」
もし自分が責任を持つという姿勢を選ばないとすれば、何を選ぶことになるでしょう?ただ”人の運転する車に乗る”場合、問題を解決する仲間になる、というより、問題の一部分になり得ることはありませんか?怠け者か、受け取り上手なのか、はたまた犠牲者なのか―――。時には、それら全部に当てはまることもあるでしょう。実際、私の場合は、時々自分で自分の人生のハンドルを握って走り続けることを、しばし休憩することを選ぶ時があります。私にとって、自分自身をケアでき、自分のベストな状態を作るのに最適なの場所は、家の中です。そのため、そういったモードを休憩させるときは家の中であることが多いのですが、理由は単純で、家の中にいる間は大きな責任という重圧から解放され、強くて優秀で、自分を成長させてくれる妻がそばにいます。妻が私を許し受け入れてくれることをわかっているから、しばしの休憩、切り替えができるのです。自分から率先して動かず、ただそこにいるだけというのも、時には非常に癒される快適な時間でもあります。
服従 or 責任・主体性
私がかつて教師として教鞭を取っていたころ、生徒の主体性を促す、ということに頻繁に苦心していました。一部の子どもたちは大体いつも自分自身のベストを尽くしていないし、「うーん、それは残念だなぁ」と直接子どもたちに伝えていたこともありました。私自身はと言えば、子どもたちの宿題を注意深くしっかりと目を通すこともあれば、ほとんど見てもいないことも…。
その結果何が起こったのか―――。「先生の姿勢には一貫性がない」というイメージが子どもたちに形成されたのです。自分はこうである、といったwho I amのイメージングが不十分だったのに加え、わざわざ余白や曖昧さを残すような行動選択をしていました。生徒たちにもっと主体性を持って欲しいのなら、まず自分自身がより責任感のある、一貫性のある行動を取るべきだったと、今ならそう思います。
マネージャーや教師、保護者らとの仕事の中で、このダイナミクス(力学)は幾度となく見てきました。こういった行動を取ってほしいと願うあまり、服従と責任・主体性を履き違えてしまう。真の責任・主体性には多大な努力が必要です。ですがその背景やもたらされ得る結果を履き違え私たちは義務付けてしまいがちで、そこから生まれる成果は平凡なものです。義務となった途端に、嫌な人は強く抵抗します。義務であればあるほど、抵抗するのです。一方、責任・主体性のある人が、内なるエネルギーや学習意欲、向上心、喜び、充実感を持っているのを見たら、周囲の人の目にはどう映り、周囲の人はどのような行動を取るようになるでしょう?
成果を求めれば求めるほど、より責任感を持つようになるでしょう。抜け漏れや曖昧な余白に目が届くようになり、そのギャップを埋めていくためにより熱心にコミットします。1つ1つの求められているタスクや約束した内容を超えて、考え得るアイディアを形にしようと行動するので、101%以上の仕事を行い、成果を出していくことになります。そういった環境では、周囲の人の無責任さはより鮮明に、不快に感じるようになりますが、自分が熱心にコミットしてたくさんの行動を自発的に起こすので、自分自身の内発的なモチベーションをより発展させていくことになります。
何が、責任・主体性を阻害してしまうのか
- 明快であるには、ある程度の時間が必要です:
- 明快であろうとすると、仕事が増える可能性もあります:
- 明快であると、時に自分の面目を潰すこともあるかもしれません:
- 他者に明快さを求めると、信頼されていないという印象を与えかねません:
- 他者に対して具体的なコミットメントを求めようとすると、攻撃的、と取られることもあるでしょう:
- あいまいな合意が「より良い取引」に繋がる可能性もあります:
目まぐるしい日々の中では、冷静になって物事を具体的に、明確に捉えるなど到底できません。
例えば、Patty(私の妻)がパーティーの準備を手伝って!と頼んできたとします。物凄く色々なことをさせられるんじゃ・・と勘ぐって明快で具体的な返答はしないようにするのです。これをやるね、とも言わないし、いつまでにやっておくね、とも言いません。代わりに、そっと何かをやって、しばらくそっとして(隠れて)しまいます。コンサルの言葉で言えば、具体的な成果物についてコミットしない、とも言えるでしょうか。
具体的なコミットメントを宣言しておきながらそれが達成できなければ、曖昧にしておくときよりも失敗は明らかです。
「私は一体に何にコミットをしているのだろう?」「もし計画通りにいかなかったらどうすれば良いのだろう?」といった質問を繰り返していれば、周囲の人のモチベーションを削いだり、不安を煽ることになり兼ねません。「どうにかなりますよ!私のことを信頼してないんですね」と言われてしまうかもしれません。
特に「感じのいい人」であることを大切にしている人にとっては、明確なコミットメントをするように誰かをプッシュすることは非常に不快に思えます。
お互いのタスクを棚卸し合い詳細を書き出して互いにピン止めすれば、そこに書いてある以上のことをは期待できなくなりますが、もしそれが目的だけ明示されてあとはオープン(タスクは自分の自由裁量)となっていれば、嬉しい驚きがあるかもしれません。
責任・主体性を生み出すことについて考え得る様々な課題、ポイントを挙げてみましたが、なぜこんなことをしてみたのかというと、責任・主体性を生むコミュニケーションには明らかな視点の対立が潜んでいるのです。自分で挙げたリストを読むだけで、自分で驚いてしまいました!
まず、こういった潜在的なネガティブな視点の多くは単なる仮説にすぎないことを理解してくべきでしょう。思考を使い過ぎている場合、フラットに列挙しようとしてもネガティブな視点が際立つ場合がありなかなか難しいものです。また、人による違いも大きく存在します。ある人にとって責任・主体性を生むコミュニケーションは、まるでリフレッシュするような清々しく気持ちの良い空気の様なものでもあります!そういった人々はいついかなる時も、そのようなコミュニケーションを歓迎して受け入れて促してくれるでしょう。
無責任であることによる潜在的なネガティブ要素の方が、より不快な、負のインパクトを伴います。そして何よりも重要なことは、責任・主体性を生むコミュニケーションを実践することで、自分自身にも、他者にも、力を与え勇気づけることができるということです。
責任・主体性を促すための、4つの質問
ここまでお読みになって、責任・主体性を生むコミュニケーションには、コストよりもベネフィットが大きい!と感じた皆様へ、責任・主体性を促すための、4つのチェックポイントをご紹介しましょう。無料でダウンロードできるポスターもご用意しましたので、ぜひ印刷してオフィスや書斎、職場の廊下や休憩室など、目の付く所に貼って使っていただければと思います。
責任・主体性を促すための、4つの質問
– 1 –
「隠していない?」
コミットメントの肝心な部分を言い濁したりしていないですか?しばしば”エンゲージメントのルール”、”成果物”、”達成条件”とも言われるもので、「何に合意して欲しいのかはっきりと分かりません…もう少し具体的なお話をしませんか?」や「ここまでの私の理解を一度確認させてください!」といった形でしょう。重要なのは言葉そのものではなく、あなたがが何を求めているのかが垣間見える姿勢であり、配慮であったりします。
時に、明快にしようとして、その目的だけに胡坐をかいて、無礼な、人を傷つけかねない話し方をする人もいます。「率直に申し上げて」「単刀直入に言うと」「忌憚ない言葉で言うと」といった前置きをしてからこういった話をしようとする場合、ここで話している明快さ、とは異なるものになります。一部の人々は、内気さ、シャイさによって明快にすることから遠のき、また一部の人々は丁寧さを欠いて明快さから遠のきます。どちらも機能していません。真の明快さは鮮明であって、穏やかなものです。まるで、暑い日の涼しい風や、暗闇の中で鳴る銀色の鐘や、子どもが頬にしてくれるキスのようなものです。
何も隠さずに明快なコミットメントをする瞬間に気を配ってみましょう。隠さない、という行動選択をすれば、自分自身にも、相手にも、そして相手からも、明快なやり取りを今後より頻繁に経験できるようになります。
– 2 –
「はぐらかしていない?」
コミットメントを行うかどうかに、中間などという答えはありません。コミットする準備ができていないのであれば、「今の今だと、難しいです」、「出来るかどうか考えて、明日また返答します」、「今すぐ返事ができないので、24時間以内に今一度確認したいです」というような返答ができるはずです。ほとんどの人は、「できないけど、失望させたくないしな…」「私としては優先度が低いのでやりたくないんだけど…」という本心を抱きながら、口では「やってみます!」と言います。「やってみます!」と言う発言は、1km~2kmにもなるような曖昧な余白を作るようなものです。その曖昧な余白で保身から卒業したいなら、無意識でとりあえず「やってみます!」と言うのでなく、「やります!」と意志を持ってはっきりと言うことが大切です。「やってみます!」は非常に曖昧な言葉で、「すぐにコミットします」という意味もあれば、「やってみるけれどきっと100年後にはならない」というくらいの非常に消極的な意味かもしれません。ほんの一瞬の保身のために、本来の意味するところが分かりにくい言い方ではぐらかすのはやめましょう。
– 3 –
「尻拭いをし過ぎていない?」
誰かが失敗をしたときにあなたが尻拭いをし過ぎれば、それはその人の責任・主体性を削ぐことになるかもしれません。
たとえば新入社員であるとか、別のことに専念して学んでいるときで優先順位が低いとか、背景や状況を知っていて、敢えてサポートをしているなら問題ありません。そうでないなら、その結果やプロセスに満足していないことを伝え、どうしたら良いと思うか、聞いてみましょう。もし彼らが言い訳をした場合には、共感力を活用して耳を傾け、親切に受け止めたうえで、しっかりと次に向けた新しい合意を形成しましょう。
これは多くの人々にとって未知の外国語のような作法で、失敗におもむろに直面することはしばしば不快で、感じが悪いことに取られがちです。一方で、あなたと約束したことをその人が破ることになり、あなた自身も自分自身の本当の気持ちに嘘をつくのはアリでしょうか?
感情に良い、悪いはありません。従って、不快な感情というのは、悪、ではありません!不快感や後悔は人生においてあなただけのとっておきの教師であり、「人を不快にする」ことを好まないためにその機会をわざわざ奪うことは、人々から学びの機会を奪うことと同じです。ですが同時に、人々は脅威にさらされた状態で、新しく大切なことを学べることはない、ということを忘れずに覚えていてください。ここを履き違えると、責任・主体性の代わりに、服従を求めてしまうこととなります。誰かをプッシュしなければならない状況では、慎重になる必要があります。
– 4 –
「学びのサポートになっている?」
責任・主体性の、真の目的を思い出させてくれる本質的な問です。責任・主体性の真の目的は、「成長」。そして、赦し、が成長において不可欠な栄養となります。私たちは常に、こういったスキルを磨ける機会に恵まれています。いつでも完全である、ことが目的ではなく、どの瞬間にも意識的かつ意図的であるということです。私も時々間違うことはありますし、あなたもそう、皆そうです。
人生は複雑で、予測できない出来事が発生すれば、思いやりのある人々は、変化する状況に合わせて優先順位を変えます。
時には誰かの顔に泥が塗られるべきでないタイミングもあります。そんなときも意識的に、行動を選択して、曖昧な余白を残してそれを終えることもあるでしょう。ここまでに挙げた3つのルールをいずれか意識的に守らないこともあるでしょう。ポイントは、習慣的に惰性で行動するのではなく、意図的に行動を選択することです。
私たちは常に、明快であり責任・主体性を発揮することもできれば、柔軟に寛大に思いやりを持って対応することも選択できます。一緒に学び実践していきましょう!
最後に
人生において自分の学びをサポートしたり、周囲の人の学びをサポートしようとし続けていれば、自ずとこの内側から生まれる、意義のある「責任・主体性」を深めていくことができます。飴とムチ、ご褒美と罰によって相手を動かすのでなく、好奇心によってやる気を起こさせます。
それそものに価値があり、今現在の自分自身を100%傾倒させるだけの意義があるものが、あなた自身と周囲の人の好奇心をくすぐり、モチベーションに火をつけるのです。こうして生まれた責任・主体性には、喜び、コミットメント、楽しさ、個の力を高め、周囲へもじわじわと広がり浸透していきます!自分自身の中での責任・主体性、明快なコミュニケーションを心掛けるほど、周囲の人のポジティブな変化に敏感になることができ、共にベストな結果を追求することができるようになるのです。
ポスターをダウンロードする
Six Seconds米国本部CEO
Joshua Freedman
訳者:COLORES 廻田彩夏
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