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真のMBOとはどういうものか ― ドラッカーが伝えたかったこと(4)

by : 6SJ経営研究センター フェロー 今村哲也  | 

2018年11月15日 | 

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10月より連載を始めた、シックスセカンズジャパン経営研究センター今村フェローによる「ドラッカーが伝えたかったこと」。ご期待いただきありがとうございます。
 

 

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MBOについては人事系の人たちから様々な実務的な解説がなされているので、今回はなぜドラッカーがこれを考えたかを説明する。キーワードは何度も言う「Functional Society – 機能する社会」である。この言葉を絡めて考えれば、真のMBOの意味が見えてくる。

 ドラッカーは自身の経験から全体主義を、また数百万の人命損失を招いた共産主義の二つを全否定した。彼によれば歴史が生んだ三悪人とはヒトラー、スターリン、毛沢東なのだそうだ。しかしこの二つよりも多少はましな自由主義経済体制も、富の偏在や人の尊厳を損なう部分があること等々、欠点に気付いていた。ではどうすればよいのか?しかもナチスは当時最も民主的と言われたワイマール憲法のもとでドイツ人民が自ら選挙で選んだのだ。

  第二回で、「後年ドラッカーは、『自由とは何かからの自由ではない、それはわがままに過ぎない。何かをするかしないか、ある選択肢を取るか別の選択肢を取るかが自由であって、その結果としての責任を受け入れなければならない』という意味のことを言っている。さらに責任というものも、説明責任と、その約束事を自分の意志としてコミットするという内発的責任の二つにわかれるものだ、とも説明している。これこそが第四回で説明する真のMBOの根拠になっている」

と記述した。

 これこそがMBOの真の意味につながる。ドラッカー哲学の根本は、成熟した教育ある成人が、いかなる選択肢を取るのか、と言うものがある。これにはカント哲学の強い影響がある。自由の正反対の概念とは責任。だから無責任に面白おかしい政治的プロパガンダ*を唱えるナチを選ぶような未熟な成人は否定する。そして現代社会に生きるものは全て、組織社会の中で生きる。だから、みずからの自由意思に基づいて組織の中で責任ある行動を選択し、その結果として自己実現をはかる。このことは組織成果の最大化につながる。これを実現するのが真のMBOである。

 そのヒントこそ、GMで見たマネジメントの原型の中にあったのだ。ただ、GMをレポートした当初はMBOは紡ぎ出していない。MBOを発表したのは「現代の経営」(1954年)においてである。

 MBOとは、個人と組織の統合というアメリカ経営学の永遠の課題に対する唯一とも言ってよい実務的な回答でもある。

 日本人の多くは MBO = Management By Objectives と思っている。正しくは Management By Objectives and Self-Control であり、「目標と自己統制による管理」の意味である。(いくつかある邦訳のうち、1974年の、野田一夫教授によるものが最も原意に近いと考えるのでこれを用いさせていただく)

 ここに潜むのはドラッカーの人間観。彼は他人に対して非常にやさしいと同時に、自己に対しては厳しい人間観を要求している。

 一人一人の強みを生かしながら、それをいかに伸ばすか。本人のみならず上司の仕事として部下の成長と育成を織り込んだMBO。これにより人の最上位の欲求である自己実現が計られる。同時に組織目標と個人目標の統合が計られ組織への貢献と組織の成果は最大のものとなる。だからこれが人事制度に正しく用いられたとしたら、査定の時には「期待値に届かない」ということは基本的にはあり得ないことになる。何故なら自分自身がMBOの時に部下が成果を出すためには上司である自分が何をすべきかを部下と会話したはずなのに、そのことを実行していないということを意味する。自分自身の評価も「未達」となるはずなのだ。そしてこのことは更なる上位者の仕事の一部でもあることを成し遂げていないことを意味するからだ。MBOを導入した企業はこのような最も基本となることを理解しているだろうか?ほぼすべてのMBO導入企業は「成果に届かない」という評価尺度があるはずだし、人事責任者みずからラインに対して「期待成果の届かないという人を●●%作れ」という指示をしているのではないだろうか。

 あえて断言する。

 MBOを正しく理解していないからこそ、そういう発言をするし、そういう制度設計をするのだ。(とはいえ、人事マン時代の小生も、このことは全く理解していなかった)

 こう考えると、MBOの際、賞与査定など、過去の実績の評価を議論するということは如何に枝葉末節なものかを理解できるだろう。大切なのは、一人一人の強みを生かし、組織目標とどう整合性を取り、上司が部下の目標達成のためにしなければならないことを相談し、上司は上位の上司と同じことをする。その結果として全員が「期待と同じかそれ以上の成果」を出し、組織目標を達成することなのだ。そうなると企業とは「機能する社会」の推進エンジンとなる。翻って、実務上の査定に関する面談とは、すでに上位者間でおおよそ決まっている査定結果を上司部下間で納得させるための単なるプロセスではないのか?MBO面談の時間の多くを、ボーナス査定の結果説明に費やしていないだろうか?そんなMBO面談はほとんど意味がない。

 このエッセイをお読みいただいている多くの方は、MBOを真に成功させるにはそうすると一人一人が自分をコントロールする方策が必須ということに気付いておられるはずだ。ここにドラッカーの主張とEIとの親和性がある。マズローには欲求5段階説についての質問を受け、答えられなくなった有名な逸話がある。「自己実現欲求を果たしている人を例示してください?」という質問に、「ガンジー、マザーテレサ」と答え、「そんなすごい人たちならば、凡人である我々には到底届かないものなのではないでしょうか?」というもの。当時マズローは自己実現欲求の中に「貢献」という要素を含んで考えていたふしがある。そしてこの貢献とは、経済的先進国にしか現れないとされる。この点が ノーブルゴールと重なる。 SEIの優れた点はここにある。その国の経済状況によって、ノーブルゴールは人によって様々な相違点があるけれども、「自己実現」および「貢献」を含むこの要素が8コンピテンシーの重要な一つ、ということがドラッカーの真のMBOに繋がる。

 次回はなぜドラッカーは「強みを生かせ」と主張したのか?科学的管理法とともに解説する。ここにもEIとの接点が出てきます。

*「傍観者の時代」にナチの若者の演説のシーンがある。曰く「パン職人にはヨーロッパで最も高いパンの値段を、また消費者にとってはヨーロッパで一番安いパンの値段。これがナチが約束するパンの値段である」(観衆は面白がって喝采)というシーンが紹介されている

シックスセカンズジャパン株式会社
経営研究センター フェロー
今村哲也


 

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