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NPOについてーその極みこそノーブルゴールに関連する ― ドラッカーが伝えたかったこと(7)

by : 6SJ経営研究センター フェロー 今村哲也  | 

2019年1月15日 | 

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前回イノベーションとはだれもが求められる日常業務である、と説明した。そして環境変化の中で自分の強みを考え伸ばすことと重なる、と解説した。この事柄に重要なヒントをもたらすのが「非営利組織」についてのドラッカーの考え方である。しかし、日本では書籍「非営利組織の経営」の重要さがほとんど理解されていない。

Six Seconds米国本部は、もともと社会性と情動の学習を促進する先駆者的な教育機関(ヌエバスクール)を起源に持ち、ダニエル・ゴールマン著「EQ~こころの知能指数」第15章においてその様子が紹介されたことにより同校幹部により立ち上げられたNPO法人でもあります。シックスセカンズジャパン経営研究センター今村フェローによる「ドラッカーが伝えたかったこと」シリーズ第7弾をお届けします。

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日本では書籍「非営利組織の経営」の重要さがほとんど理解されていない。タイトルだけ見て「会社人には不要な書籍」と早とちりする。とんでもない間違いだ。みなさんはドラッカーは「マネジメントを発明し、深めた人」と思っておられるだろう。その通りなのだが、ではマネジメントと裏腹のリーダーシップについて彼はどう考えたのだろう?という疑問を持たれたことはないだろうか?その答えこそがこの書籍なのです。

1990年、「非営利組織の経営」の序文の中でドラッカーは「アメリカ人の二人に一人が週3時間ボランティアとして働いている」と記述している。二人に一人が年156時間、という数字だ。これはひと月の所定就業時間とほぼ同じ数字だ。翻って日本においてはどうだろう?阪神淡路大震災(1995年)が日本におけるボランティア元年と言われ、東北大震災(2011年)や各地の災害には有志の方たちが応援に出る姿がごく当たり前のこととなった。20年でこんな風になった。なぜなのか?

ボランティア/非営利組織活動は経済的先進国に多く見られる現象だ。ここに理解のカギがある。第4回でA・マズローの有名な逸話を紹介した。「自己実現欲求を実際に発揮している人の例」を問われて「ガンジー、マザーテレサ・・・・」と答えたマズローは「そんなすごい人たちでは私たち凡人にはとても自己実現欲求の発揮など届かないのでは?」とさらに突っ込まれて答えられなくなってしまった、というものである。マズローは自己実現欲求を幅広くとらえ、おそらくは「難しい課題にチャレンジしたい、自分を伸ばしたい」という我々が一般的に考える自己実現欲求以上の欲求を含んで考えていた。それが他人や社会への貢献などに現れる、という風な解釈ができよう。そしてこれは経済的に厳しい国では突出した人にしか現れないが、「経済的に発展した国」では一般者の中でも現れる、という事なのかもしれない。しかも自己実現欲求よりも上位の欲求として。

だから日本では「衣食足りて」いた時に、阪神淡路大震災が起こりこれがきっかけとなってボランティア元年となった、と考えられるかもしれない。だからこの欲求メカニズムを検討して、企業組織の中への応用を考えられれば、素晴らしい成果をもたらす可能性がある。コッターがミッションビジョンの確立の大切さを説明するのと同じ流れである。すなわち、企業活動の社会的貢献度合いをそれぞれの現場のことがに置き換えて説明できることだ。

一方、知識労働者は社会的紐帯の弱さをも内包している、とドラッカーは説明する。一人一人が脳みその中に資産を持つがゆえに移動が肉体労働者よりも頻繁に起こるとし、これへの対処を国家施策と日本的経営に求めた。しかしながらいずれも不十分との結論を得た。そこで非営利組織に目を向けた。そこでは経済的尺度ではなく、ミッションの達成度合いを尺度とする。ここに知識労働者は社会的紐帯を求めるのだと。

皆さんはこの辺どう考えるだろうか?「日本企業においては多分外国に比べて仲間意識が強いだろうな」あたりで止まりそうな気がする。筆者は、某大手電機メーカーの研修会社でのビジネス教育の企画立案実施をセカンドキャリアとした経験を持つが、本来仲間意識が非常に強いはずの超日本的なこの会社でも、社会的つながりの希薄さを強烈に意識する瞬間がいくらもあった。それは、「その人が持つ知識が先鋭化すればするほど、その凄さを認めることが可能な人の数が減少する。しかも特に上位層において減少する。なぜなら、(1)現場から離れるからそもそも尖った知識そのものの評価ができない、(2)多くのマネジャーに共通して求められるのは上位層ほど「人間力」であるがゆえに専門知識は後回しになる(*)。それによってすぐれた知識労働者自身の社会的欲求/自尊欲求の満足度が下がるから」ということである。トップが最先端の知識を追う気がない人の場合にはその最先端知識の貴重さが理解できない。では同僚部下はどうか?これも全く同様。「非営利的組織」であればミッションが確立されているから「誰が正しいかではなく何が正しいか」ということが正しく評価される。

日本においてこの書籍の注目度が低いのはアメリカに比べ、非営利組織の社会的浸透度が弱いこと、また企業が社会的紐帯の役割を幾分か果たしているからだろう。ドラッカーが1990年に、ここに突破口を見出した嗅覚はすさまじい。社会/他人への貢献。そこにある社会的紐帯とは一般組織よりもはるかに純粋で価値の高いものだ。そしてこのNPOの議論を通じてドラッカーは間接的にリーダーシップ論を展開し始める。

この書籍を記述する少し前(1985年ころから)からドラッカーはリーダーシップに関わるそれまでの主張を明確に改め、リーダーシップとは「学べるもの、後天的なもの」とし、「それは責任である」と言い切るようになる。
自己実現より上位になるかも知れない欲求、それは5段階説を敷衍(ふえん)すれば、そんなに簡単には引き出せない。然し引き出されたら大変なエネルギーを引き出す。しかもエンドレスで。そこにはリーダーシップの極みがある。ノーブルゴールがある。ノーブルゴールを考えるとき、多くの場合、自分が最も得意とすること、また自分自身の精神的充足を求める(もちろん、お金と論理がすべてに優先する方も中にはいるが)。だからこそ強みを伸ばすことにつながるのだ。となると、ドラッカーは企業組織の中でそのあたりをどう考えたのか。言い換えればマネジメントとリーダーシップをどう考えたのか、が重要となる。

それは次回で説明する。


*これを超える方法はあるのだがここでは説明しない

シックスセカンズジャパン株式会社
経営研究センター フェロー
今村哲也


 

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